以前の任地大分でよくお客様を別府温泉の地獄めぐりにご案内していた。その一つに「血の池地獄」がある。 九十度を越す高温泉でいつもは湯煙に覆われているが、風が煙りを払うと広い池面に凄惨な深い赤色があらわれ、 まさに血の池の様相をみせてくれる。この神秘的な色は温泉に多量に含まれている酸化鉄分の色である。

人間の血の赤い色も鉄から来ている。赤血球に含まれるヘモグロビンは鉄原子を中心として多くのタンパク分子がくっついたものであることはご存じであろう。血液が赤い色をしているのは、このヘモグロビン中の鉄イオンが赤色を呈するからである。赤くない血をもつ動物もある。 例えば、イカ、タコ、エビ、カニなどは、人間や哺乳類の血液中の鉄の部分が銅でできておりその血液は銅イオンの緑色をしている。

人間の体内の鉄分の総量は3〜5g、うち七割が血液中に存在する。
決して多い量ではないがこの鉄は血液に乗って体内を循環している。通常では約一分弱、運動をしたら十秒程度で体内を一巡する。鉄を生業としている者にとって、量は少ないとはいえその鉄が自分の中を駆けめぐっていると思うとそれこそ血が騒ぐ思いにかられる。

ヘモグロビンの主な役目は細胞活動に必要な酸素の運搬にある。ここにも神秘の金属である鉄の特性が生きている。酸素分圧が高い肺で空気中の酸素がヘモグロビンの鉄とくっつく、つまり酸化が行われる。

酸素と結びついたヘモグロビンは鮮紅色の動脈血となり、体の末端まで運ばれる。各末端の細胞では酸素分圧が低いので、ヘモグロビン中の酸素は鉄と分かれて放出され、細胞活動の燃焼源となる。酸素とのやりとりは有機化合物が不得手とするところであり、酸素と結合・解離し易い鉄や銅などの金属元素が介入し始めて、生命体の維持に不可欠な酸素呼吸が成り立っているのである。

鉄が錆び易いということは酸化されやすいことであり、容易に酸素と分かれることは還元されやすいことである。無尽蔵に近い酸化鉄(鉄鉱石)が少ないエネルギーで還元され鉄鋼材料となり、使命を終えたらまた酸化され地球にかえっていく。この鉄の特性が体の中の内でも働いていると思うと、鉄という金属の優位性とともに自然の摂理の素晴らしさを実感させてくれる。

体内で鉄が不足すると酸素の運搬が不充分になる。これがスタミナ不足の一因である。漫画のポパイはホーレン草で力を出す。鉄含有の多いホーレン草で鉄分補給したわけである。
力不足に苦しむ日本経済も鉄を使ってスタミナを回復したらと思わずにはいられないこの頃である。   
          日刊鉄鋼新聞 平成10年3月25日 談論から転載させて頂きました。

             

 

テネシー・ウィリアムスの書いた”Cat on a Hot Tin Roof ”という戯曲がある。
日本語には「熱いトタン屋根の上の猫」と訳されている。 ”Tin ”はトタンではなくブリキである。ブリキ屋根は実用に供さないので誤用であろうが、よく混同される。

ブリキは錫メッキ、トタンは亜鉛メッキであり、異なるものである。しかし、両者に共通することは、共に以前は低級な安物品であったものが現在ではどちらも最先端を行く高級鋼板であることだ。

ブリキの歴史は古く、ナポレオンの時代から、兵食貯蔵用の容器として錫メッキ缶が使われていた。食缶に加えて以前は各種の玩具にも多用されて”ブリキのおもちゃ”は安っぽくて壊れやすいものの代名詞であった。英語の ”Tin ”にも”安物の”とか、”紛い物”の意もある。

そのブリキが昭和30年以降ジュースに始まる各種飲料缶として増え続け、現在では年間250億個も使われている。例えば厚み。薄いものでは約70ミクロンと新聞紙に近い。
一枚の円板から缶に成型する厳しいしごき加工に耐えるため、純度の高い鋼を造り込み厳重な管理の下で製造が行われる。ブリキ用鋼は最も不純物が少ない鋼の一つである。薄くて軽く、しかも強い板とする数多くの開発技術が積み重ねられてきた。

トタンはポルトガル語の亜鉛からきている。亜鉛メッキを施したトタンは鉄の錆をおさえるので屋根やバケツによく使われる。以前はメッキも厚く、加工度も低かったので溶鋼中の成分含有量や製品表面性状への要求も厳しくなく、造るのは難しくなかった。

近年その防錆特性を生かして錆びのこない自動車のボディ材などとしても広く使われるようになった。

複雑な形状のプレス加工に加え、しかも美麗な表面をもつ亜鉛メッキ鋼板を製造するために、PPMオーダーでの成分コントロールから始まり、合金メッキ層の温度制御に至るまで各工程で高度な製造技術が駆使されている。

この30年間で、ブリキもトタンも鋼材として様変わりをした。その変遷に携わってきた者としては感無量のものがある。社会環境や経済情勢の変化とともに要求される性能・機能が高度化し、そして新しい技術が生まれ、鋼材が進化する。30年後はどこまで変わって行くのだろうかと思いはつきない。
        日刊鉄鋼新聞 平成10年6月18日 談論から転載させて頂きました。